市川猿紫

作品解説

  • 操り三番叟
  • 藤娘
  • 色彩間苅豆

「操り三番叟」

操り三番叟初演は1853年 (嘉永6)本題名「柳糸引御摂(やなぎのいとひくやごひいき)」。
多くの三番叟物の舞踊がありますが、この「操り三番叟」は三番叟が操りの人形振りで踊る趣向のとても面白い作品です。
初演時は前半の翁と千歳もぜんまい仕掛けの人形の設定で踊っていた様ですが、現在では三番叟だけが人形振りで踊ります。
また、澤瀉屋型では三番叟の衣裳が納戸地なのも特徴の一です。

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「藤娘」

藤娘初演は1826年(文政9年)江戸中村座、五変化舞踊の一つ。
本名題を「哥へす哥へす余波大津絵(かえすがえすなごりのおおつえ)」といい、初演時は大津絵から抜け出し踊る趣向だったそうでございます。
それを1937年(昭和12年)3月歌舞伎座で六代目尾上菊五郎が演出を一新して、元々の挿入曲の「潮来出島」の替わりに岡鬼太郎作の「藤音頭」に差し替え、藤の精で踊るという新演出に改めました。
今では定式の舞台一面の大木の松に藤を絡ませた装置や片身替わり等の衣裳、幕開きの俗に言うチョンパ(暗転から瞬時に照明をインする演出)は六代目菊五郎からです。
またこの時の振り付けが六世藤間宗家で、師匠の藤間紫先生もその場に立ち会っていたと聞いております。紫先生が大切にされておられた作品の一つです。

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「色彩間苅豆〜かさね〜」

かさね初演は1823年(文政6年)森田座。
四世鶴屋南北作の「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」の一場面として初演されました。
長い間中絶していたのを、1920年(大正9年)に六代目尾上梅幸と十五代目市村羽左衛門が復活し、現在たびたび上演される作品となりました。
通称『かさね』とよばれ、浪人の与右衛門とその子を身ごもった奥女中の累との道行の舞踊劇です。
前半は二人の色模様をみせますが、後半からは川辺に髑髏(しゃれこうべ)が流れきてからは南北らしい怪談話を盛り込んだ因果話となってまいります。
実はその昔、与右衛門は累の母菊と密通しさらに父の助も殺していた大悪人だったのです。
その助の祟りで累の顔は醜く変わり、片足も不自由となり殺し場となっていきます。
今回は師匠猿之助が過去に上演した形式にならい原作に近づけ、累の妹おさえ(原作では累の姉)と船頭与吉を登場させる珍しい趣向での上演にいたします。

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